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竹林

今 ベランダからのぞくといつも風にゆれていたあの竹林が
どんどん切られている。土地が売られたみたい。
まるで自分が引き裂かれ、ちぎられるような気持ち。

竹をかわいそうだ なくなって欲しくないと私自身の痛みの世界でみると
ここは生きるのは苦しい世界だ。
野良猫のしまが病気で死んだときもこんな感覚になった。


だけど最近ふと
人の不幸は状況とは
まったく関係ないのかもと思うときがある。

不満 あるものを幸せに感じられない不幸に覆われて
どんなものを手に入れてもずっと終らない世界をさまよう。

死んだしまに私がかけた嘆きのベールを
はがしたときに広がる世界。
そう、しまはあのときそのベールをひょいっとぬいで
旅立っていったと
今はわかる。

ああ
猫らや 木や花を思うだけで
ほんのすこし気力がわきあがるのは
いったいなんだろう!
めいっぱい喜んでいる姿に、閉ざされた自分に涙がでるような。

どんなときも当然と思わない
ありふれて見えるものもあたらしく見る瞳で
瞬間の小さな粒を見つめているその姿。

実際、竹林がなくなったとしても心の中に鮮やかにゆらめく緑。
透明で透明で透明で思うたびに目の曇りがとれてゆくような!
きっとこれはずっと消えない。竹林の心の豊かさの炎。

これは私が
猫や緑たちから受け取った力だから
苦しくても これを忘れないようにしようと思う。


竹が倒れて竹と竹が重なる音は悲しい そして美しい。
残念という言葉しかでないけど今はこの透明な緑を胸にともしながら
痛みを受けとめていく。
大好きな竹林。
いくつかは私の持ってるような
竹のレインスティックになればいいなあ。
ao-akua * 花☆植物 * 09:33 * comments(2) * - * - -

コメント

ずい分前のこの地域は竹林で広がっていたはずです
竹見台って地名だけでその事がわかります

どんな場所でもそうですが、それまでの自然が犠牲になってそこに人が住んでいます

yukaさんの痛みがわかる気がします
10年前には職場に美しい紫陽花通りがあったのですが、今はその当時を想像できないようになっています
紫陽花が悲しんでいると思いながらも私はその横を見ないふりしてあるくだけです
また大きな畑もあってたくさんの藍を育てて染めを楽しんだ時期がありました
水やりが大変でしたが、工事のため閉鎖されて今や土砂が積み上げられてその上が雑草で覆われています

知らなければ罪はないのに知ってしまうとその土地の嘆きがきこえるようで苦しい気がします

「人の不幸は・・・」
若いころ恵まれていた事に気づかず自分は不幸でした
そう思って絶望していた日々がありました
生きていることすら辛いと思っていたあの頃はまさにそうでした
Comment by テルテル @ 2010/09/03 7:02 AM
テルテルさま


ほんとそうですね。 
私の住んでいるところも竹林だったんでしょうね。
母もそう言っていました。
これだけ長い間この竹林があってくれてよかったと。


ずっとむかしは千里は竹林ばっかりだったと
鴨居羊子さんが書いていたそうです。

そしてずーっとずーっとむかしは
氷河だったんでしょうね。


土地や建物、場所 木や花たちの意志や目的が何かは
私にはわからないですが
ふさわしいことが起こるように

そして私がそれを受け入れていけるように願いたいと思います☆
Comment by yuka @ 2010/09/03 5:48 PM
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